キレイな海を探す冒険旅行ブログ

海の魅力に取り付かれ、毎年夏になると綺麗な海を探す旅に出る。今日は東か明日は北か、ボロワゴンに地図とカメラと自転車を積んで、さあ出発だ!

セウォル号とエルトゥールル号

韓国のフェリーが沈み多くの若い方が犠牲になった。
出来る事は何でも手助けしたいと思ったが、
現在、かの国とは政治的にはあまり仲が良くないが、それとこれとは別問題である。
ただ、出来る事といえば命を落としてしまった方々に心よりご冥福を祈り、残されたご家族の気持ちになって今回の事故を考えたり後世に伝えて行く事が私達が出来る弔いになるのかもしれないと思う。

海難事故や大きな船が沈んだお話しはタイタニック号をはじめ数知れずあるが、
特に印象に残っているもので思い出されるのは今から124年前、紀伊半島沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が座礁沈没した事故。
581名の命が失われるという日本近海で起きた最大の海難事故。
かつて私も訪れた場所で紀伊半島の一番南、いや本州で一番南に位置する串本町紀伊大島。
NHKや民放のテレビ番組でも過去に起きたその事故については何度も放映していたし、
トルコ国内で教科書に載ってるトルコ人なら知らない人がいないぐらい有名な話しであり、
その事については多くの方々がサイトやブログで書いているので今更述べる事もないが、
事に当り、不眠不休で生き残ったトルコ人を助け、衣食住の全てを提供し、救済に尽くした串本の人々。
こんな素晴らしい対応をした日本人がいた事を誇りに思う。

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もともと人間の本質は悪意よりも善意の方が勝っている。

誰かの役に立ちたい、感謝されたい、
困っている人を助けたい、誰かに頼りにされたいという気持ちがある。

子供の頃、母親に「困った人がいたら助けてあげなさい。助けてあげればその人の為にもなるし、自分の為にもなるんだよ」
とよく言われた。何となく分かったような気でいたがその事の本当の意味を知らないでいた。

小学校の頃、道徳の授業でこんなお話しがあった。
A君は授業で使うクレヨンを家から持ってくるのを忘れた。そこでB君に借りた。
A君は不器用な上、力が強い。借りたクレヨンを何本か折ってしまう。
それを見ていた周りのみんなは、A君に対して「B君に謝れ」とか「弁償しろ」とか言う。
でもB君はぽつりと言う「いいんだよ、友達だから」
何か感動するお話しだが、
B君はA君が不器用で力が強いのを知っていてクレヨンを貸した。
その結果クレヨンが失えようが、折れようが、そのリスクも含めて提供した事になる。
A君もみんなに責められてつらかったろうが
でもB君は怒るどころか、許す言葉をA君にかける。
「いいんだよ、友達だから」この言葉を聴いてA君はどんなに救われただろう。
今後、B君の為ならどんな事でもしてやろうと思うだろう。
困っていたら力になってやろうと思うだろう。
クレヨンは何本かダメになったが、A君とB君は本当の友達になった。
B君は最初からこうなる事を見抜いていたのか、
いや、友達だから無条件に許すと単純に考えればいいだけかもしれない。

かつて私と同世代の日本人はみんなそういった教育を受けてきた。
このお話しが「いいか」「悪いか」と言えば、このお話しの本当の意味が分かればいいお話しだろうし、
分からなければただのお人良しのお話しで終わってしまう。

このお話しの本質を見抜いていなかった私は人に何度かだまされた事がある。

だまされて後は、何の目的か分からない募金や、金銭感覚が麻痺するギャンブルや
人間関係を壊すマルチ商法などには一切引っかからなくなった。

他にも聞いた話しだが
万博で知り合い仲良くなった外国人と、彼らが本国に帰ってからもメールなどでやり取りするうちに、
物を要求されるようになる。最初はラジカセが欲しいだの、小型テレビが欲しいだの言ってくる。
そんなに高い物ではないので実費で買って送ってやると、今度はもっと高価な物を要求してくるようになる。
アホらしくなってその方はその外国人と友達を辞めたという話しを聞いた事がある。
人の役に立ちたいという気持ちを逆手にとったタカリのようなものである。
この方も本質を見抜いていなかったという事になる。

トルコ軍艦の遭難者を助けた紀伊大島の人々は当時、経済的には非常に弱者であったが、
誇り高い人々であった。そして事の重大さと本質を見抜いていた。
120年以上経った今でもトルコの人々は子々孫々とその善行を伝え、その恩を忘れてはいない。
「困った人がいたら助ける。助けてあげればその人の為にもなるし、自分の為にも故郷の為にもなる」
いや、ただただ後先考えずに目の前の困っていた人を我武者羅に助けただけかもしれない。
単純にそう考えればいいのではないか、


あぁ何かこまごまとした事を書いていたら雄大な海が見たくなった。
高田屋嘉兵衛も勝海舟も秋山真之も、こまごまとした凡事を机上でこなしながら、
「あ~海が見たい」と言っていたに違いない。
そして彼らも物事に当って、必ず先に本質を見抜いて行動していたに違いない。

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