キレイな海を探す冒険旅行ブログ

海の魅力に取り付かれ、毎年夏になると綺麗な海を探す旅に出る。今日は東か明日は北か、ボロワゴンに地図とカメラと自転車を積んで、さあ出発だ!

海を旅して知った昔ばなし 人魚のお話し

海を旅するとそこに伝わる伝説や史跡など
「昔そんな事があったのね」と思う事に出くわす事が結構多い。
そんな一つに人魚にまつわる伝説がある。人魚というとファンタジーな世界を連想するが、それはまぁ漫画の見過ぎかな。

世界の海のあちこちに人魚伝説はある。そしてもちろん日本にも存在する。
福井県小浜市に伝わる「八百姫伝説」がそれである。
日本各地に八百姫(八百比丘尼、やおびくに)の痕跡が残るが、ここが発祥地であり終わりの地である。

そのお話しは「人魚に足が生えて人間になった」とか「人魚が海から出てきてこんにちは」といった類の話しではない。
小浜に伝わるそのお話しは正確には人魚を食べてしまった人のお話しである。


大まかにはこんなお話しである。多少面白く脚色してあるのであしからず。

今から約1300~1400年もの昔。
小浜の浜に、ある有力者が住んでいた。仮に長者としておこう。
同じ地域ではあるがそこから少し離れた場所にいつからか住み着いた男が何の商売をやっているのかよく分からないが
長者と同じような財力を持つに至る。その男を仮に成金者としておこう。

昔からいる長者としては面白くない。
しかし、成金は長者と張り合おうなどとは毛頭思わない。
成金はわだかまりを消す為に、長者を自分の屋敷に招き馳走する事にする。誘われた長者も悪い気はしない。
長者は従者と共にいそいそと出かけて行く。

成金は長者様御一行を招き家の中を案内する。厨房の前を通った時、長者は腰を抜かす程驚く。
「あれは何だ!」長者は声を上げる。
厨房のまな板の上には、頭や顔は人の子供のようで、二本の腕も生えており肩から下は魚のようにウロコやヒレが付いている。もちろん足はない
成金は、「竜宮の土産ですので、後で調理してご馳走致します」と言う。

やがて宴が始まり宴席で先ほどの魚(人魚)を刺身にしたものを出されたが、どうも食べる気がしない。
結局一口もつけずに残してしまう。
成金は、長者にその刺身をお土産に包んで持たせてくれた。

長者が家に帰って家族や下人にお土産を見せ、その事を話すと、みんな気持ち悪がって食べようとしない。
長者には年頃(15、6歳)の娘がおり、その娘が興味を持って、皆がいなくなった隙にそのお土産の刺身を食べてしまう。
あまりの美味しさに、一人で全部平らげてしまう。
家族の者達は娘を心配したが、娘は元気でピンピンしている。腹が痛いとも言わない。何日か経っても問題は起きなかった。
3日経っても1週間経っても1ヶ月経っても娘に変化はない。

「ああ、良かった」長者とその家族はそんな事があった事も忘れてしまう...

やがて1年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎる頃、おかしな事に気が付く。
娘は30歳近くになっているはずなのに、どう見てもあどけなさの残る15、6歳ぐらいにしか見えない。
さらに10年が過ぎ、40近くになっているはずなのに、どう見ても少女のままの姿である。
娘は人魚の肉を食べた事で歳をとらなくなってしまったのだ。

やがて長者もこの世を去り、家族達もこの世を去る。
身内のいなくなった少女は頭を剃り八百比丘尼(やおびくに)として神仏への信仰を説く旅に出る。


八百比丘尼の伝説は日本各地に120ヶ所程も残っており諸国を行脚して仏教の信仰を広めたようです。
例えば、布教に訪れた先で椿の木を植える。100年ぐらい経った頃、ひょっこりやって来て、椿の木が大きくなったと喜んで帰って行く、また、西暦1400年ぐらいの頃に建立された塔は八百比丘尼が立てた塔だとか、そのぐらいだと八百比丘尼さん700歳ぐらいって事になります。そんな事がざらにあったそうです。


生きる事に疲れたのか、もう十分生きたのか
八百年もの長い年月を経て小浜に帰って来た八百比丘尼は空印寺の洞窟に篭もり外から石で塞いでもらう。
洞窟に篭もる前に八百比丘尼は言ったそうです。洞窟の前にある椿の木が枯れたら私は死んだと思って下さいと。


現在その洞窟を見る事は出来ますが、奥の方は鉄道を引く際に埋められて塞がれてしまっているようです。
また、この寺は八百比丘尼を慕う参拝者や、不老長寿を願う参拝者が後を絶たないそうです。

女性にとっていや男性でも、いつまでも若々しくありたいというのは不変の願いです。
若狭小浜方面に行った際には立ち寄ってお参りするとよいかもしれません。

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※追記1、

長者が住んでいたのは「小浜」の西方にある「勢」という場所だそうです。
当時は「勢」が中心地だったかもしれませんが、現在は「小浜」が中心地になっています。成金恐るべし。

※追記2、

空印寺の近辺にはお寺が10件以上存在しています。奈良でもあるまいし、こんな狭い地域にお寺が集中しているのはどう見ても不自然です。
この近辺は当時の中央政権が仏教を各地に広める為に作った一大拠点だったのではないか、というのを何かの本で読みました。
人が800年も生きるというのはどだい無理があるかと思います。
八百姫を伝説化して八百比丘尼という尼僧を何十人と作り、八百比丘尼1号は九州担当、
八百比丘尼2号は四国担当、八百比丘尼3号は北陸方面などとして、10年経ったらまた若い子に交代させるというように
何世代にも渡って続けられるようにシステム化された布教活動をしていたのではなかったかという説があるようです。

 

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それでもやはり八百姫伝説は信じたいものです。
洞窟の前の椿の木は現在でも枯れていないそうです。